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連載小説「リサイクル」(1~9)

終業を告げる鐘が鳴ると、皆一斉に立ち上がった。

晩秋の17時は、もうすぐそこまで宵闇を連れて来ている。

30番、今日は真っ直ぐ帰るのか?」

向かいの席で屈強な男が聞いた。

「ああ、誕生日だからな」            

30番と呼ばれた男は、支給された黒いナイロン製の鞄に、慌ただしく荷物を詰め込みながら答えた。

「手当が出ちゃあ、家族全員で豪勢にお食事ですか」

向かいの男は大げさに首をすくめて見せたが、30番は口の端で軽く笑うと左手を上げて机を離れた。
ドアへと吐き出されていく彼の背中をしばらく見送った後、男は思い出したように鞄を閉めた。その横顔には窓の外よりも暗い陰が落ち、閉じたように思われた唇からかすかな呟きが漏れた。「せいぜい楽しむがいいさ」
さほど荷物は入っていない鞄を重そうに持ち上げ、男は職場を後にした。                                          

                                                 

こんな生活を果たして望んでいたのだろうか。
駅へと向かうバスの後部座席で、30番こと高木恭介は思った。
この地方都市へ移って10年になる。それまでは東京の金融機関で第一線にいた。
担当顧客とその資産が右肩上がりになっていくのを眺めるのが、帰宅前の習慣だった。
灯りの消えた家に帰り、『お疲れ様』のメモが添えられた夜食を少しつまみ、自分の書斎で眠る毎日。思考が滞らない程度の食事と睡眠があれば十分だった。
妻の絵里が子育てに専念出来るよう、自分にはあまり手をかけなくていいと伝えた。
息子がようやく朝までぐっすり眠るようなったある日曜、いつもの缶ビールとグラスの乗ったトレイに、一枚のパンフレットが添えられていた。
「少し考えてほしいの」
背中越しに告げて書斎を出て行こうとする絵里を、恭介は引き留めた。
「何? 車でも欲しいの?」
「ううん、違うわ」
絵里は笑うと恭介の肩を後ろから抱き、
「もっと高くて、大事なもの」
と思わせぶりに耳元で囁いた。
恭介は読んでいた本に栞を挟み脇へ置いた。
絵里はプルトップを開けグラスにビールを注ぎながら、彼の反応を待つ。
「分譲地?」
冊子を開くなり恭介は声に出して驚いた。
「何、家を建てるってこと?」
「私の顔をちゃんと見てくれるの、久しぶりね」
デスクチェアを自分の方に向けさせ、絵里は恭介の顔を覗き込んだ。
「驚いた?」
「驚くも何も、家が欲しいなんて、そんな話今までした事がなかったじゃないか」
「まあまあ、泡が消えちゃうわよ」
と絵里がグラスを差し出したので、恭介は一度冊子を閉じビールを一気に飲み干した。
缶に残った分を注ぎながら含み笑いをする絵里を見て、彼は自分の知らないところで話が進んでいるような、嫌な感じを覚えた。
「まさか、もう申し込んだのか?」
「ううん、うちはまだよ。でも、佐藤君のところはもう決めたって」
絵里はパンフレットを手に取ると、慣れた手つきであるページを開き彼に向けた。
「ほら、ここ、丘の一番上の区画。抽選になるのかはまだわからないらしいんだけど、早いに越したことはないからって」
「佐藤が?」
恭介は再び冊子を手に取ると、淡い色彩で描かれたその予想図を眺めてみた。しかしあまりにも突然の話で、イメージ図は両目から後頭部へと流れて行ってしまう。
彼は絵里の気分を壊さないよう冊子を静かに机へ置くと、
「わかった。じっくり目を通すよ」
と彼女の腰を軽く叩いた。
「よろしくね」

空になったビール缶をエプロンのポケットに押し込み、両手を顔の前で振りながら書斎の扉を閉めた。

リビングのドアが閉まる音を聞き届けて、恭介は両の目頭を押さえ大きな息をひとつ吐いた。「少し考えてほしい」というのは建前だ。恐らくもう佐藤の妻とは話が付いているのだろう。佐藤夫婦とはお互い学生時代からの友人だ。承諾しなければ三人がかりで説得されるだろう。その図を想像して、彼はもうひとつため息をついた。
「旅行に行くのとは違うんだぞ」

お互いに東京で生まれ育ち、地方には旅行でせいぜい三日くらいしか滞在したことがない。何がそんなに魅力的なのか。

その答えは次のページで待っていた。

『日本一手当の厚い街で暮らしませんか?』

駅でバスを降りると、待ち合わせの時計下に絵里と二人の子供がいた。
「あ、パパだぁ」

今日三歳になる華奈が恭介を見つけ、手を振りながら走り寄ってくる。

恭介も早足で近づき華奈を抱き上げた。
「鼻の頭が赤くなってるな。寒くないか?」

「さむくないよ。ママがあたらしいコートかってくれたから」

そう言って華奈はダッフルコートのフードを被って見せた。

「華奈は青が似合うね」

「まあねぇ」

絵里を真似たのか大人びた口調で笑った。つい最近まで幼児言葉が混ざって何を言っているのか恭介にはわからないことが多かったが、いつのまにかしっかりとした言葉を話すようになり、時折絵里と良く似た話し方をする。

「パパのおみみもあかいけどあったかいね」

華奈が小さな手で恭介の左耳に触れた。

「ああ、バスがちょっと暑かった」

「あのおおきいバス?」

華奈は体を捻り、ターミナルに停まっている恭介が乗って来たバスを指差した。

「そうだよ」

大きいと言うのは、自分が普段乗っている保育園の送迎バスと比べてのことだろう。

「ふーん」

ほとんど関心はないようだが、一人前に頷いている様子が可笑しかった。

時計の下の花壇に沿って設けられたベンチに絵里と佑介は腰かけていた。

「お疲れ様」

「お父さんお帰りなさい」

それぞれ声をかけると立ち上がり、恭介に寄り添う。

腕に娘を抱き、妻と息子に囲まれて微笑んでいる自分。

その光景を客観的に見た時、恭介は胸にわずかながらしこりのようなものがあるのを感じる。それはいったい何なのか触って確かめようとしても、するりと指の間を逃げて行ってしまう。追いかけたい気もするが、一度始めたら面倒なことになりそうで、きっと取るに足らないことだと流すようにしていた。

「待たせたね。じゃ、行こうか」

「それほど待ってないわ。ちょうどいい時間よ」

いつもより華やかな化粧をした絵里は、そのきれいな眉をしかめると

「華奈ちゃん、自分で歩きなさい」

ときつい口調で言った。

「パパのコートが汚れちゃうでしょう」

華奈が「また始まったね」というような目で恭介を見る。彼がまた「わかってるよ」と目で頷くと、大人しく腕から下り佑介と手をつないで前を歩き始めた。

「今日は中華だよ。フカヒレって見たことある? 燕の巣とか知ってる?」

佑介がパンフレットでも見てきたのか、自慢げに華奈に話している。

「かな、しらない」

「じゃあ、お兄ちゃんにまかせろよ。すごいものどんどん頼んでやるから」

「うん、かな、いっぱいたべる」

「おいおい、食べきれる量にしてくれよ」

恭介が後ろから声をかけると、

「大丈夫、今日もドギーバッグたくさん持ってきたから」

と絵里がハンドバックを叩き、振り返った佑介と華奈の三人で仲良く「ねー」と

調子を合せる。

「さては俺のいないところで、うまいものたくさん食べてるな」

「ないしょー」

華奈が言って、皆が笑いだした。

市から出る子供の誕生日手当は1歳から15歳まで支給され、年齢にかかわらずひとり一律3万円の商品券が配られ、市内のみで利用できる。絵里は駅に隣接したホテルのレストランを予約した。大人1万円、子供は半額の5千円でオーダー式の食べ放題らしく、3万ちょうどで普段は手が出ない高級な料理を満喫しようというわけだ。

モザイク模様の石畳で佑介と華奈が遊んでいるのを、ふざけないでちゃんと歩きなさいとまた絵里が叱る。駅前の広場は噴水もあり、夏場は裸足で遊ぶ子供たちで溢れていた。
市の人口の割には立派なステーションビルを完備して、都会へ出ずとも事足りるよう百貨店から若者に人気のショップまで幅広く揃っている。駅周辺にはほとんどの飲食や服飾のチェーン店が展開しており、東京でしか暮らしたことのない絵里でも、ここでの生活に全く問題はなかった。同じ店構えに同じ商品、店員の質も東京のそれと全く変わりがない、いや接客に関してはどの店もそれ以上かもしれなかった。

駅を中心とした半径500メートル圏内で都会の気分を味わい、そこから少し離れれば美しく整備された住宅街で静かな生活が送れる。加えて事あるごとに支給される手当という名の商品券。この地に移りたいという絵里の希望に反論の余地は見当たらなかった。

だが、と恭介は思う。俺はおそらくこの暮らしに納得しているわけではないのだ、と。

二人の子供達も絵里も何不自由なく楽しそうに毎日を送っている、その笑顔を見ると自分のわがままにすぎないのかもしれないと思うが、やはり胸のしこりは依然そこにある。

「疲れてる?」
絵里が左腕に絡まり甘えるように見上げた。感情が激しい分鋭い面も持つ彼女には、ふとした表情でも伝わってしまう。またやってしまった。こういう些細なことの積み重ねが絵里を不安にさせていることもわかっていた。考えるのは書斎でいい。今日は華奈の誕生日だ。恭介はそう自分を戒めた。
「いや、ちょっと仕事のことを考えていた。悪い、気にするな」
「何かあったの?」
「大したことじゃないんだ。今度の健康診断の日程をそろそろ決めなくちゃいけなくて」
「もうそんな時期? 何だか季節があっという間に過ぎていくわ」
「先のことばかり見ていると余計そう感じるよ」
「そうね。子供達の行事に追われてると、本当に一年が早いもの」
そういえば、と絵里は腕を放して「山内さんのご主人いなくなっちゃったみたいよ」

「山内さんって、子供会でよく働いてくれてる、あの若いお父さんか」
「そう。先月の例の監査で赤札出されたみたいで、それがショックだったみたい」
「しっかりした人に見えたけどな」
「奥さんすっかり憔悴しちゃって。実家のご両親が迎えに来たみたいよ」
福利厚生の面では釣りがくる程の好待遇だが、この街で勤めるには条件があった。不定期に行われる個人監査で規定に反する項目があった場合は即解雇、市からも退去するという厳しいものだ。なぜそこまで徹底するのか、分譲を申し込む際に恭介は疑問に思ったが、「それだけ街の質が高いってことじゃない。あなたなら心配ないし、働きやすい環境かもよ」との絵里の言葉に、深く考えることはしなかった。
ホテルのエントランスの前で絵里は足を止め恭介のネクタイを直し、

「あなたは大丈夫だと思うけど、気を抜かないでね」

と両手で胸をポンポンと叩いた。

「ああ、わかってるよ」

エレベーターホールから「ママー、のるよー」と華奈の声が聞こえる。
スカイエレベーターは四人を天空の食卓へと運んで行った。