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2010年9月

2010/09/12

整いました!

引っ越しまであと2週間。
そろそろ荷造りしなければいけないのですが(この前もこんなこと書いてたような気がするけど)、なぜかマンガ読みたい熱にとりつかれ、毎日、しかも長編ばかりを片っ端から読んでしまってます。
そうそう、「動物のお医者さん」から始まったのですね。12巻読んで、次が「ハチミツとクローバー」全10巻。で、ここ何日かで「ガラスの仮面」文庫版23巻にコミック版42~44巻。45巻は今月末に出るらしいですけど。

そういえばテスト前にもマンガ読みたくなるって幼馴染が言っていたような。

やるべきことが目の前にあるのに、なぜか手が伸びてしまうマンガ。
それはまぎれもなく現実逃避ですね。

ってことは私、引っ越したくないのか?
いや、荷造りが面倒なだけだろう。
と自問自答。
まだ時間的余裕は(おそらく)あるのですが、早めに片付けて来週はいろいろ出かけたいから、今週中にはほぼ終わらせたいのです。

んで、今ふたの開いている段ボールから明日の王様全10巻が見え隠れしているのですが・・・、もう、さすがにもう手は伸びんでしょう。

「だって引っ越しの準備中なんだもんね~」、と自分に言い訳して部屋は連日泥棒が入ったような散らかり具合。
む~、全然良くない、
あ~良くない、今の私、全っ然良くないよ!

欲ばっかなんです、今。
欲の塊なの、私。

全てが100%満たされることなんてないし、ない物ねだりするから苦しいし間違うし、今の状況をありがたいな、幸せだなって思えば全然楽しい。
なんだけど、時々壊れるんですね。
ほとんど自殺行為だなって思う。
自分を大事にできない。
これじゃ間違いなく癌になるだろうなと、なんだか人ごとみたいに考えたり。

最近やっと父と母に心から感謝できるようになったんですね。
2人とも病で苦しんだ最期だったんですが、そういう命の一部に私がいて、自分を粗末に生きることは両親の命も粗末にすることだって思ったり、こうして好きなことをして伸び伸び生かせてもらってるのは、両親の命のおかげなんだなあとしみじみ感じたり。

なんだけど、なんで壊れたかなあ・・・。

頑張れよ、私。
頭でわかっていても、実践できなきゃ意味がない。

苦しくても辛くても、やらなくちゃ前に進めないのです。
ということを熊野古道を歩いて学びました。
長い坂が続いて、でも足はボロボロで、もうどうにもならないと思っても、歩いて行かないことには帰れない。引き返すこともできない。
先を見ないで、今足を運ぶ場所だけを見て、一歩一歩前に出すだけ。
その連続だけが坂の終わりに自分を連れて行ってくれる手段。

ん?
引っ越しの荷造りの話からなんだかえらい飛躍したような気が・・・。

そっか、欲の塊になっている時って、坂の終わりばかりを気にしている時なのかもしれません。
景色が目に入りすぎて、あれこれ気が迷ってしまう。
広い視野が必要な時もあるけれど、足元を見つめなければいけない時もある。
今はちゃんと着地してるか確認しないと。
ふらふらしてたらつまづいたり、転んだり、捻挫したり、坂から転げ落ちるかもしれないよ。
ああ、そう!
坂から転がっちゃうかもしれない、本当に。
そういう怖さがまだあった、残りの岡崎DAYSに!

整いました!
って謎かけじゃなくて、気持が整いました。
坂から転がらないように、足元見ます。
そういう日々を過ごします。

pig今日の一冊

ガラスの仮面 (第1巻) (白泉社文庫) Book ガラスの仮面 (第1巻) (白泉社文庫)

著者:美内 すずえ
販売元:白泉社
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何回か読みこむうちに、私は亜弓さんファンになりました。
努力しても叶わないことがあるということを知っている彼女は、マヤよりも挫折を味わっているし、人生の経験値は高いと思うのです。
辛いと思うの、すごく。
どうしてもぬぐえない両親の威光、おべっかばかり言ってすり寄ってくる周りの人間、マヤなんて想像もつかないくらいの孤独の中にいるんだろうなと思うのです。
でも彼女は泣き言は言わない。
女優としての覚悟があるし、自分の商品価値も自覚してる。
偉いな~と素直に尊敬するのです。
そういう彼女の心の支えになるような殿方はいないのだろうか?
マヤって何気に男が切れないですよね。自分のことチビでかわいくないとかいじけたこと言ってるけど、なんやかんや男性に頼ってる。
亜弓さんは完璧すぎて近寄りがたいのかな?
お前は俺がいなくても大丈夫だよ→亜弓
あいつは俺がいないとダメなんだ→マヤ
とすると、私はやっぱり亜弓さん派なのでした。

2010/09/06

「選ばない」という選択

おととい書いたことを今日はもちょっと考えてみようかなと思います。

「選ばない」という選択。

私ね、手を出して失敗したことがいくつもあるんです。

やらないで後悔するよりも、やって後悔した方が自分の為にはなるって思ってました。
少なくとも体験したということは残るわけで、いわゆる経験値はあがるのですから。
でもね、最近、避けた方がいいことは避けて通るべきなんだって気が付いて。
何だか極論な感じでわかりにくいかもしれませんが、危機管理というか、自己防衛というか、グレーゾーンには近付かないということなんですけど。
それは消極的なんじゃなくて賢い選択なのだと思うのですよ。

どちらかを選ぶことって、私は「こっち!」って手に取ることだと思っていたんです、ずっとね。だから選べない時はどっちも手にしちゃう。いちばん身近な例だと買い物ね。

たまにちゃんとしてる時は、迷ったら選ばないということができるのですが、エネルギー過多の時や、逆に消耗している時は、冷静な判断ができなくて両方手にしてしまう。
買い物ならお財布の危機で済みますが(済まない?)、他のことだと取り返しのつかないことになる恐れもあるわけで。
今までは取り返しがつかなくなる前にふと我に返って回避できましたが、いつもそうとは限りませんものね。

で、それらは全ては私の欲深さからきているわけで、次は自分の「欲」について熟考してみようと思うのでした。

pig今日の一冊

こゝろ (角川文庫) Book こゝろ (角川文庫)

著者:夏目 漱石
販売元:角川書店
Amazon.co.jpで詳細を確認する

高校時代の現国の先生が、登場人物のKはK故に頸動脈を切ったのだと(親父ギャクだったのか?)言っていたのを今でも思い出します。藤垣先生お元気でしょうか?
最後の章の先生の告白は、主人公宛の手紙なんですけれど、着物の袂や胸元に入れられるような量じゃないだろうと思うのですが、いかがでしょう、夏目先生。
私が一番印象に残っているのはKの遺書の、もっと早く死ぬべきだったのに、なぜ今まで生きてしまったのだろうという一文で、それはなぜかというとめちゃくちゃストイックに思えたKにも欲があったんだなあと思ったからなのでした。
欲って希望でもありますよね。
NHKの土曜ドラマ「チェイス」で人を狂わせるのは希望だという台詞がありました。絶望にいる人間はそこに夢を見てしまう。ちょっとだけわかりました、その主人公の気持ち。
希望って時には残酷で、そこに何かがあるのではないかとしがみついてしまうと狂わされてしまうんだろうなって。
ぎりぎりのところで踏みとどまっているような気持ち、少しだけわかるんですよね。
だから、手にとっちゃうの、いろいろ。
でもそれは希望ではなくて、単に私の欲なんです、たいがいね。
こころが好きな理由は、私のあるある大事典だから。
先生が何だか自分のように思えるのでした。

pig今日の一品

【冷凍品】●送料込み● Weis’ ワイスバー パッションフルートアイス 16本 【冷凍品】●送料込み● Weis’ ワイスバー パッションフルートアイス 16本
販売元:カルディコーヒーファーム
カルディコーヒーファームで詳細を確認する
オーストラリアのアイスクリームなんですが、フルーツぎっしり甘酸っぱいところにちょこっとあるクリーム部分がちょうどのマッチング。
私がカルディで買ったのは4本入り。最初1本食べてハマって、次は箱買いしました
パッションフルーツよりパイナップルの食感が多いですが、さっぱりして美味しいですよ。
まだまだ残暑厳しい折、是非試してみてください。

2010/09/04

この夏一番のかき氷

午前中、安城の明治川神社へ参拝。
だんなさんのおばあちゃんのお家が明治用水開拓に関わっていたそうで、今月で去る前にご挨拶(遅すぎ?)。
とても良い佇まいで、今日も愛知は猛暑でしたが、境内はとても涼やかでした。

その後は思い付きで犬山城へ行くことに。
新安城駅でお弁当を買って名鉄特急の展望席はほぼ貸切状態。
大きな窓からの景色を眺めつつお昼ご飯。
久々の行楽です。
お弁当屋さんのみなさんすごく感じが良くて、お弁当が何倍も美味しく感じました。
ご家族でやっているのかな、厨房からもおじいちゃんが笑顔で「いらっしゃい!」って声をかけてくれて、楽しく商売してる雰囲気が伝わってきたのです。
最近コンビニやスーパーばかりで買い物していたので、こういう感じ忘れてた。
企業なんだよね、そういうところは。お店だけど商店ではないというか。
お店って楽しいところなんだよね。
だから小さい女の子って、お店屋さんごっこしたり将来お店屋さんになりたかったりするんだよね。
お腹だけじゃなくて心も満たされたお弁当でした。


犬山はものすごく暑かった。私のなかではこの夏一番の暑さだったかも。
でも暑いのはへっちゃらなので、汗をポロポロ落としながら(流れるではなく本当に落ちるの)犬山遊園駅から木曽川沿いをテクテク。
ライン下りもしてみたかったですが、船が出ている様子が見えず、とりあえずお城を目指します。
国宝犬山城は成瀬家の個人所有だったのですね。今は財団法人に譲渡したよう。
先代城主までの写真が飾ってありました。先代は福山雅治似の素敵な方でしたよ。
天守閣からは木曽川や遠くまで街並みを見下ろせ、涼しい風が吹き込んで「ここでお昼寝したい!」と言っている方もいました。同感。
小高い山の上にあるので、天守閣からの眺めはだいぶ高く、ぐるっと回る展望台(?)の柵は腰の高さもないので、足がちょっと震えました。いや、急な階段を上って膝が笑っていたのかも(笑)。

お城を下りて売店で休憩。
迷わずかき氷を購入。いちご味ね。
お姉さんがカップに山盛りモリモリで作ってくれて、思わず「わぁ~! ありがとうございます!」と笑顔に。
少しも崩してはならないと、ソフトクリームを食べるようにパクパク。
氷は柔らか過ぎずシャリシャリ過ぎず、ちょうどいい削り具合。
シロップもくどくなくて、この夏一番のかき氷でした。
お城を見るのではなく、このかき氷を食べに犬山へ来たと言っても過言ではない。
この夏に悔いなし!

私ね、かき氷が大好きなのです。フラッペではダメ。かき氷ですよ。
で、食べている最中全然頭は痛くならないので、ご飯を食べるように黙々スプーンを運ぶ。
本当は2杯食べたいのですが、さすがに、ねぇ・・・。
で、ちょうどいい削り具合のかき氷機があったら購入しようと思ったのでした。
いろいろ試せるし。

話は変わって・・・。
引っ越しの日取りも決まったので、明日あたりからそろそろ荷造りを始めなければいけないのですね。
まずはそのままになっている前回の段ボールを開けて、要らない物の整理。
バッサリ捨てますよ、バッサリね。
必要最低限のものだけに一度リセットしようかと思います。
そういう引っ越しみたい、今回は。
できればいろんな物・事に執着せずに生きて行きたいので、手放す度胸をつけてみようかな。
そういう訓練に思えました。いろんなことでね。

選択するということは、何かを手に取ることでもあるけど、他は手にしないことでもある。
手に取ることよりも、手にしないことの方が難しいのでした。
いろいろ抱えて頑張る方が人間として大きいのかなと思っていましたが、それでアップアップしているのでは正しくない。
抱え込まないように、その手前で見極められる・捨てられる方が人間が大きいのですね、たぶん。
最近いろいろと逆転の発想で目から鱗です。
でも本当はそっちが表で、私はずっと裏側から見ていたのかなあと気付いて。
そう考えると、今まで目が行きがちだったことに納得できました。

そちらを「選ばない」という選択。
しばらく意識してみよう。

pig今日の一冊

動物のお医者さん (1) (花とゆめCOMICS) Book 動物のお医者さん (1) (花とゆめCOMICS)

著者:佐々木 倫子
販売元:白泉社
Amazon.co.jpで詳細を確認する

引っ越したら動物を飼う予定なのですが、何だか急に読みたくなって押入れから引っ張り出して全巻(12巻)読み返し中。
細やかで丁寧な描写で、何度見ても飽きません。
ミケの体のしなやかさとか柔らかな毛の感じまで伝わってくるかんじ。
この夏ハスキーちゃんたちは、大変だろうな。
早く涼しくなるといいですね。

pig今日の一品

年産わずか20樽のみ限定コノスル!コノスル・メルロー・20バレル・リミテッド・エディション 2007(赤・ワイン)フルボディ 年産わずか20樽のみ限定コノスル!コノスル・メルロー・20バレル・リミテッド・エディション 2007(赤・ワイン)フルボディ
販売元:酒のはないヤフー店
酒のはないヤフー店で詳細を確認する

ワインに詳しい方におススメのワインを聞いたら、コノスルのこのシリーズを教えてくれました。私が飲んだのはメルロー。濃いです。お土産でもらった崎陽軒のシウマイと一緒に食したら、以外にも合いました。おしょうゆがいいのかな。肉じゃがとか角煮とかも合いそう。
半分いただいて、残りはソーダで割ったり、ドライフルーツを漬けたりしました。
次回はカベルネを飲んでみるの。
最近はコストパフォーマンスがいいものが増えたそうで、お値段以上のクオリティーのワインが多いそうです。
コノスルはチリですが、アルゼンチンワインも美味しい。
やっぱりちょっとずつ勉強してみようかな、ワイン。

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2010/09/01

潔い人

pig今日の一冊

かぎりなくやさしい花々 Book かぎりなくやさしい花々

著者:星野 富弘
販売元:偕成社
Amazon.co.jpで詳細を確認する

星野さんの絵葉書で時折春日部の義母が荷物にメッセージを添えてくれることがあり、クリスチャンであることと、口で筆をくわえて絵を描いている方だということは知っていました。
先日仕事先の図書室でこの本を手書きで写したものを見つけて、ちらっとのぞいてみたのですが、いやいやこれはきちんと読まねばと借りてきたのです。

星野さんは小学生の時に見た模範演技に魅せられて高校・大学と器械体操を続けた後、小さなころから大好きだったスポーツをやりたいと中学の体育教師になります。
しかしその2カ月後の放課後、マット運動で着地に失敗し頚髄を損傷、その瞬間から首から下が全く動かなくなりました。
この本は幼少期から事故のこと、9年間の入院生活のことが書かれています。

ちょっと余談ですが、余命何年とか難病と闘った記録みたいな、死ぬことを前提とした話は好きではないと以前に書きました。
最近そういったテーマの映画がまた増えましたけど。
命の期限って誰が決めるんでしょうか?
お医者さん?
お医者さんに「あと3年です」とか言われて、「ああ、そうなんだ・・・」って、本人は全然そんなこと思っていないのに、周りの人たちは「ああ、この子はあと3年以内に死んでしまうんだ」っていう目で見続ける。
そんなマイナス思考の人に囲まれていたら、まだまだ大丈夫な命も縮んじゃうよなあと思うんですけどね。
でもね、その裏では矛盾があるんですよ。
「あと3年」ってことは3年は生きられるって思います。
でもね、3年間ちゃんと生きられる保証なんてどこにもないんです。
病気での統計上の寿命はあと3年かもしれないけれど、事故や天災で1年後にはもうこの世にいないかもしれない。
何かね、おかしいんです、命の期限を良く考えると。

もうひとつ命の期限で「むむ!」っと思ったことがあって、アメリカの大学教授がすい臓癌だか何かで余命1年と宣告される。でも入院せずに可能な限り教壇に立ちたい。命の期限が迫った今、私は生徒に何を教えてあげられるだろうかと最後の授業について考えるとかいう本のようです。読んでないから薦めた人から聞いた話しね。
「なんていい話!」って思います?
いんや、私は思いません。
じゃあ、今までの授業は何だったの? って。
死ぬ前に気が付くんじゃなくて、日々意識して真剣に生徒に伝えなよって。

死が身近に迫ったから残り(があると思っている)の人生を精一杯生きるって、なんだか「余命」という言葉がそれまで人生サボってた自分への免罪符のように思えてしまうんです、私には。
平均寿命まで生きられるのが当然とか思っている傲慢さを捨てて、毎日毎日「今日が最期でもいい」って思って生きたら、それだけで一日一日をとっても大切に感じると思うのです。
「死と向き合って私は大切な何かに気付きました」とかいう自己克服調な話し、
「大切な何か」って何? 
具体的にわかっていないなら本質に気付いていないのでは?
なので、そういう「雰囲気的単語」で涙(&お金)を誘おうとするメディアに疑問符だらけの私なのです。

で、話を元に戻しますが(余談が本論になっちゃうところでした)、この星野さんの本は、そういう類の自己克服本ではないのです。
何て言うんだろう、人柄が表れているんだろうなと思う、淡々と正直にありのままを記したものでした。
幸せな人を見ればにくらしくなり、大けがをして担ぎ込まれる人がいれば仲間ができたようでほっとする。
熱が出れば大騒ぎになって先生や看護婦さんがたくさん集まってくるのに優越感を感じる。
先輩が置いて行った聖書を開くまでの心のうち等・・・。
この本が清水のように心に浸み渡って行くのは、次の一文に表れていると感じました。

わたしは絵を特に習ったことはありません。色彩や構図といったものもわかりません。でもこのような花をそのまま紙に写してゆけば、きっと良い絵が描けると思いました。
神様がつくったものならば、何も知らないわたしが頭をひねって無理につくらなくても、そのままで良いのだと思いました。
絵で何かを表現しようとか、それを人にわかってもらおうとか考えなくても、花そのものが何かを語り表現しているのですから。

脳神経外科医の福島孝徳先生も、同じようなスタンスの人だと思うんですね。
手術の時は足袋をはく(お父さんが明治神宮の宮司さんで、そういう環境で育ったからなのかはわかりませんけれど)。
「神の手」と言われていますが、私が思うに「神様の手」が先生を助けているのではないかと。
何故かというと、彼は自分を第三者的に「福島先生」と呼んでいたからなんですね。
「福島先生が手術するから大丈夫」とか「これは福島先生じゃないとできないの」とか患者さんに話している。
そこには「我」がないんです。
勝手な私の憶測ですが、手術中に先生は神様の存在を何度も感じたことがあるんじゃないかって思えて。
大きな導きを体感した時、「我」ってなくなるような気がするんです。
私であるけれど私ではない。
星野さんは花の絵を描くけれど、それはそこにあるそのままを写しているのであって、星野さんが意図して創ったものではない。
福島先生の手術は難しいけれど、そこにある腫瘍を取り去って本来の姿に戻すことである(と私には思われます)。

「罪深く弱い人間」の章で、気付いた自分の弱さや情けなさを綴っているのですが、読んでいて「ああ、そうだよね。私にもあるある、こういう気持ち」と共感するけれど、でも、何て言うか裏ではないんです。気持の裏側、陰の部分での共有ではなくて、陽の当たる側のこととして書かれているから、共感を超えて「ああ、偉いなあ」という感銘に変わるんですね。
よくある「私もおんなじだから大丈夫」という後ろ向きな傷の舐め合いではなくて、語るそこには「我」がない、というか超えちゃっているから、私も自分でもいい加減持て余してる「我」を横に置いて、「ああ、そうか。そういうふうに考えられるんだ」と客観的に理解できる。
なかなかないです。こういう本。

感情移入して泣きたがる風潮じゃないですか、最近。
「わかる、わかる~。辛いよね~。苦しいよね~」って。
実際その病気になったこともないのに。
書き手(出版側)もそういう反応を期待してつくるでしょう。
「感動してください! 泣いてください!」みたいな。
でも本当に胸を打つのは、淡々とした姿勢。

今の仕事(パートだけど)をしていて感じたんですけれど、あんまり入れ込む姿って本人は満足なんだろうけど、まわりは逆に引くよな~って。
「大変な状況を私一生懸命やってます!」的なアピールって、「我」の塊りだからよろしくない。
大変なことを大変と周りに思わせないでさらっとこなしている人が、本当にできる人。
大変でもないことを大変に思わせて、注目を浴びようとする人は・・・、なんだろう、とりあえず「大変ですね」って声をかけたら、さっと逃げた方がいい人(笑)。

そうか、星野さんも福島先生も「すごい」地獄にハマらなかった人なのです。
一度人から「すごいね!」と評価されると、もっともっと褒めてもらいたい、良く見られたいって思って、次々「すごい」と言われそうなことを探してしまう。
そうして「すごいね」を求めているうちに、本当はやりたくないことまでやらなければいけなくなってしまって、自分を見失ってしまうっていう蟻地獄のようなお話。
先日紹介した「道は開ける」に載っています。
同じ事を話しても自慢に聞こえて不快感を覚える人と、素直に感心できる人の差って、この「すごい」地獄の住人かそうでないかの違いかもしれません。
ハマっている人だったら、「すごいね」って言って、さっと逃げましょう。

「花に描かせてもらおう」という星野さんの心は、決して受け身なのではなく、「我」のない潔さなのです。
ああ、そうです、星野さんは実に潔い人だとこの本を読んで感じました。
潔い人、星野さん。
是非ご一読ください。

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